2019年06月14日

木は生もの

わたしにとって懐かしい臭いの一つが、木材の臭いである。
製材の鋸が木を挽いていくときや、皮を剥がれた時に発する湿気を帯びた、木は生ものだと感じさせる独特の臭いである。

家の向かいが木材置き場で、大きな丸太が置かれていた。子供の頃、家の周りは、木の臭いが満ちていた。

父たちの会社は製材所から始まった。

我が家は、故郷はの濃尾平野の北西の端っこに位置する。
多分、根尾や徳山等揖斐川上流の山から木を伐りだして、製材していたんだと勝手に想像している。
(父も亡くなって、今となってはわからない。聞いておけばよかった。)

会社はやがて、建築工事が主な事業となっていったが、製材業も、父が仕事を辞める平成10年頃までは少なくとも続けていた。

たしか、中学生になるころだったが、丸太を載せた大きなトラックが、北からではなく南から頻繁に堤防を走り、工場にやってくるようになった。
外材が、多く輸入されるようになった時期と重なる。木は山からでなく、海から運ばれるようになった。
木材には、見慣れないツボのような貝殻がついていた。なんだか、臭いも違っていたように感じる。

父から聞いた話。
山の木がお金になるのに、植林してから最低30年かかる。できれば50年おきたい。一生懸命植林しやっとお金になるころに、輸入材が流通し始めて原木の値段は下がってしまった。山の木には、それまでかけた手間に見合う額を払えなくなってしまった。
子供が大学に行くので、山の木を売りたいといわれて見積もっても、十分な額が払えなくて、がっかりさせることになってしまっている。
もし、作道が整ってないと、足が出るくらいになり、買うことさえ断ることになる。と

これでは、馬鹿らしくて、山をやる人はいなくなるだろう。といっていた。そして、その通りになってしまった。
山は、少しづつ少しづつ、荒れていった。

今、地域産の木材の利用が推奨され、状況の改善に向けた努力はされているとは思うのだが、山の中の道を走る度に目にする状況は、ますますひどくなっているようにしか感じられない。暗然とした気持ちになる。

父は、よく国の営林署に入札に行って、樹齢何百年の木を仕入れてきていた。
国の山から、樹齢何百年のスギ、ヒノキ、ケヤキや銘木類が切られ、ヘリコプターで運ばれて来たものを入札して買うのである。(数百万するものも多かったらっしい)そんな木が、材木置き場に置かれていた。

木は長い年月をかけて育つ。途中、色々なことがあったのだろう、挽いてみて傷や節があることもある。だが、木は色々な使い道がある。自分たちで、その木をいろいろな目的に使うようにするから、無駄にしなくて済むのだと誇らしげに言っていた。
ただ、流通に適する、規格品の木材だけを扱い、よそに売るだけの商売だったら、そうはいかないだろうとも。

バブル経済の頃、宗教団体などが、こうした、高額の木を買い占めるようになり、こうした木は高額に、なりなかなか入手できなくなった。
宗教法人では、外側の白木部分は腐らせ、赤身だけを使うことを知って、もったいないことをすると憤っていた。

そして、今、自分が設計する時、特に仕上げ材において、無垢材を使うことは、コストや技術的な問題等で難しいことが多い。
よくて集成材や練付け、多くの場合、合成材やプリント材を仕様書に書き入れることになる。
(当たり前のことかもしれないが)規格品・流通品で、仕様を決め、設計する。

木は生物なんだから、傷はあっては当たり前、一本一本違うものであることを、前提にした設計は出来ないできた。
すこし、情けない気分になる。(今回は、なかなか、言いたいことが文章にできない、これも、情けないことだ。)





タグ :木材設計

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Posted by ordinary H at 13:11│Comments(0)建築全般
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