2019年06月26日

テレビと住まい

我が家の場合、オリンピックの時には、我が家にもテレビがあったことを覚えている。
アポロ11号のニュースも 白黒で見た。ただ、1970年大阪万博の映像はカラーでみた太陽の塔の印象的な姿と色をテレビで見たことを覚えている。
テレビは居間に一台のみで、一家団欒の中心にはテレビがあった。真空管テレビで大きさもそれなりにあり、存在感があった。
小学校高学年(1970年)のころ夢中になってみていたTV番組は、「巨人の星」、「アタックNO.1」 「サインはV」等のスポコン漫画。
親も子も一緒になって見ていた。「8時だよ全員集合」も、「何が面白いんだか」とくさしながらも、親も一緒に見ていた。父親が絶対譲らなかった相撲中継を、「何が面白いんだか」と思いながら、私も見ていた。

テレビから得る情報は、親も子も共通だった。親は子供が何に興味を持っているのか、子は親がどんな物や事が好きなのか、一緒にテレビを見たり、チャンネル争いを通して、何となく知ることができた。

テレビは草創期、テレビは「不特定多数の人を集めることのできる」存在だった。
それが、各家庭に普及し「家族のだんらんの中心」へと変わっていった。
そして、その後、ほぼ一人一台とも言えるほどテレビが普及し、やがて、テレビが家庭の中で団らんの場面を創る機能は小さくなっていった。
今、情報化によるインターネットの普及により、テレビ離れが進んでいる。
テレビに変わる、一家団らんの道具立てや空間を、住まいの中にきちんと、設えられているのだろうかと考えてしまう。

住宅を設計していて、今のところ、テレビの存在は、まだまだ大きい。テレビは、住宅のある固定した位置、そして一般的には寛ぎの空間とセットで設置する。設計者もクライアントも、それが当たり前だと考えてはいる。(住まいのある種のプロタイプとして、私たちの世代には刷り込まれている)。

だが、最近の実際の住まいの使われ方を思い起こしてみると、家族それぞれが、自由に好きな場所でスマホ等のタブレット端末を使って、個別にゲームをしたり映像を見たりする。、そんな風景が普通になってきている。誰が何を見ているのか、何に関心を持っているのか、把握することは難しい。家庭の中での個別化が、より一層進んでいる。たとえ同じ空間に居ても、共通の体験の蓄積は確実に薄くなっている。家族のコミュニケーションを促したり、共通の体験の蓄積を増やすための空間や設えを工夫することが必要なんだとは思うが、その答えを見つけることは中々難しい。ただ、もう”テレビのある居間や食堂”に依存していてはいけないのだと思う。


学生寮(1975年)に入っていた時、ラウンジにはテレビがあった。16インチくらいの大きさで、白黒だった。ほとんど見る人は居なかった。(その頃、家庭のテレビがカラーに変わっていた)暇なときは、おしゃべりやトランプなどのゲームが娯楽だった。大学の時の下宿、部屋にテレビは無かった。アンテナの配線さえ来ていなかった。一人でいるとき、ラジオパーソナリティの語りが癒しだった。会話がいまよりもっと大事だったし、密度が濃かったような気がする。

そういえば、小学生の高学年の頃、教室にテレビが設置された。ただ、ほとんど見ることはできず、教育テレビのいくつかの番組をみたことだけを記憶している。(1年で数回である。)ほとんど、無用の長物、オブジェと化していたが、教室にテレビがやって来た時には、クラス全体で大騒ぎしたことを覚えている。ほんの50年程まえのことである。まだ、もう少し生きることになると思うが、情報化がさらに進み、テレビ離れした世代が社会の中心になったとき、住まいはどんな風に変わっているのだろうか、結構、興味がある。











Posted by ordinary H at 17:08│Comments(2)
この記事へのコメント
ずっしりと来ますね。なんか文章の中に「思い」というか
「色々」が詰まっていますね。設計をやっている人間ならば
概ね「なんだかなぁ~」とかって考える思考ですよね。
エスキスをやるときに「仕事」とか「依頼者のため」だとかって、
僕は、駆け出しの頃は考えられなかったんです。
悪く言えば「押し付け」ですかね。相当にクライアントを
怒らせたり失望させたりしましたね(笑)いくら提案しても
全く実施に繋がらなかった。全く金にならなかったです。
最近は、生きることが先決なので、なんとなく折り合いをつけて
頑張っていますが、それでもキツイですね。病気になるくらいなので(笑)
Posted by アーバンギアアーバンギア at 2019年06月26日 21:19
そこそこ生きてきた今だからこそ、気が付くこともあり、そんなことを忘れないように、思いつくままに、書き連ねています。

設計で生業をたてていくことの難しさは、身に染みて感じます。
色々じたばた、認められないことに腹を立てたてたり、失敗したり、時々小さな喜び感じたり、日々過ごしていくうちに、今に至ってます。
自己表現だとか自己実現だとか(人から聞いたり教えられた言葉を)目標にすることを辞め、「身の回りの人がより良くなるためにやれることをやろう」なんて、かなり内向きではありますが自分の中から出てきたことを目標に据えてからは、色々なことがうまく廻ようになったように感じます。
Posted by ordinary Hordinary H at 2019年06月28日 15:03
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    コメント(2)